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健康かながわ

進化医学とは何か

どうして病気は起きるのか?「どうして」(英語のHow)は、病気になる仕組みを指し、医学はそれを研究してきた。そして、患者を治す術(医療)を見いだしてきた。さらに進んで最近では、「なぜ」(Why)病気は起きるのか、と根源的に問いかける「進化医学」が注目されている。 (読売新聞科学部次長・佐藤良明)

「ダーウィン医学」

病気の遠因を長い進化の過程から考察するのが進化医学で、ダーウィン医学とも呼ばれる。19世紀に活躍した英国の博物学者ダーウィンは、ビーグル号で太平洋のガラパゴス島に渡り、鳥のくちばしの形状から生物の進化について考察。さらに「種の起源」という有名な著書も残した。

2009年はダーウィン生誕200年、「種の起源」が発刊されて150年という節目。進化医学の基盤となる「ダーウィンの進化論」とはどのようなものなのか、関心を集めそうだ。ここで簡単に整理しておこう。
進化とは、世代交代の過程で、生存に不利な性質を排除していくことだという。後世の遺伝子研究を踏まえれば、ここで言う「性質」とは遺伝子とも言い換えられる。

遺伝子は人間の姿形から内臓、脳の働きまで全てに関わっている。生存に有利なように遺伝子は変異する。世代を経て変化していくということだろう。
では、どんな例が考えられるのか。海外の研究を見てみよう。

倹約遺伝子

地球38億年の歴史で、人類が誕生して700万年。気候の変動、飢餓など、必ずしも生存しやすい生活環境だったわけではない。そこで、食べ物がわずかしかなくても命を失わないように、私たちの体は、脂肪などエネルギー源になる栄養素をせっせと貯め込む性質を身につけた。「倹約遺伝子」の働きである。

一方、農耕・牧畜など食糧を安定的に確保できる文明を、人間は急激に発展させた。食糧はあるので、脂肪を余分に貯めなくてもいいのだが、倹約遺伝子はそのまま働くから、生活習慣病を誘発する肥満になってしまう。
人間に病気を起こすような、すなわち「生存に不利な性質」は、進化の過程で排除されてきたと先に書いた。しかし現実をみると必ずしもそうではない。遺伝子には一つで複数の機能を担うものがあり、役立ち方次第で生き残ることがある。

マラリアにかかりにくい鎌状赤血球症

アフリカの人たちを苦しめる鎌状赤血球症をみてみよう。この病気は、変形した赤血球が正常に働かずに貧血を引き起こす。変形した赤血球など身体に有害なだけ。すぐ排除されると考えがちだ。だが一方で、この赤血球を持つ人は、マラリアにかかりにくい強みを持っている。

マラリアは病原体の原虫が赤血球に巣食って人体を蝕むが、鎌状赤血球はマラリア原虫が感染しにくい構造になっている。マラリア発生地域と鎌状赤血球を持つ人の分布は一致している。
貧血という有害性の反面、マラリアに強いという生存に有利な性質を持つことから、鎌状赤血球を生み出す遺伝子の変異が、進化の過程では排除されなかった。人が鎌状赤血球症になるのには、そうした背景があると考えられている。

睡眠時無呼吸症候群と進化

こんな例も。寝ている間に呼吸が何度も止まり、日中に強い眠気が襲う睡眠時無呼吸症候群(SAS)だ。発症の仕組みはわかっていて、のどの奥の「軟口蓋」と呼ばれる部分が弛緩して気道を塞ぎ、無呼吸になる。
SASには、骨格の変化が関わっているとする考え方もある。

約330万年前の人類の頭部化石を見ると、頑丈で大きなあごが特徴だ。硬い木の実を噛み砕いて食べていたからだ。進化とともに、人類は石器を作り出し、動物の骨から肉をそぎ落とすなど柔らかい食べ物を口にするようになった。あごは小さくなり、舌は厚く自在に動くようになった。この骨格の変化が、気道を塞ぎやすくして、SASになるそもそもの始まりだという。

SASは生活習慣病の危険を高める生存に不利な病態だ。でも、人類は舌を自在に動かすことで「言葉」を獲得した。生存に有利な文明の代償にSASを抱えこんだらしい。

アポE遺伝子とアルツハイマー病

また、若い頃は有益、老年期では有害という遺伝子も注目される。一つの例は、アポEという遺伝子だ。
この遺伝子が作るアポたんぱく質は、細胞膜の材料となるコレステロールを体内で運搬するなど重要な役割を果たしている。その一方で、持っているアポE遺伝子の型によっては、アルツハイマー病の危険が高まる。

人間はどうしてアルツハイマー病になるのか。仕組み(How)は解明されつつある。βアミロイドという特殊なたんぱく質が脳内にたまり、最終的に脳の萎縮が進む。
では、なぜ(Why)起きるのか。生命を脅かすアルツハイマー病の危険因子が、排除されないのは謎だが、アルツハイマー病は老年期に発症する。

小さな子どもに起きる病気だったら、これから遺伝子を未来に受け渡して進化していくのに有利とは言えないから、厳しく排除されただろう。でも、「老年期」とは、遺伝子の受け渡しを終えた時期。どんな病気になろうが関係ない。アポEをあえて排除する必要がなかったともいえる。

病気の深い理解に

こうしてみると進化医学の視点は実に興味深い。京都大学元総長の井村裕夫・先端医療振興財団理事長によれば、米国の一部の大学では医学部の講義に取り入れているという。井村さんは「ゲノム研究の発展もあって生命の進化がたどれるようになってきた。病気の深い理解につながる進化医学の重要性はますます高まるだろう」と話している。
人類の進化は、ある意味で「病との共生」の歴史でもあった。病気との付き合い方を覚えたり、病気にならない予防の心構えを持ったりすることの大切さを、進化医学は私たちに教えてくれている。

(健康かながわ2009年1月号)
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