世はまさに健康ブーム。そして、巷にあふれる健康情報。
しかし、その情報の数多くが科学的根拠に乏しく、場合によっては健康の害になることもある。医療関係者たちは、そのような情報と、プロの立場としてどのように向き合うべきか、科学ライターの松永和紀氏に意見を聞いた。
日本学術会議が昨年8月、「ホメオパシーに治療効果はない」とする会長談話を発表したことはご記憶でしょう。ホメオパシーは、植物組織、鉱物などを水で100倍希釈して振盪(とう)する作業を10数回から30回程度繰り返して作った水を、砂糖玉に浸み込ませ作った「レメディー」を患者に投与します。
しかし、希釈操作を30回繰り返すと物質の濃度は10の60乗倍となり、レメディーにはまず、もとの物質は含まれません、効果があるはずもないのです。このような「一見、科学のようで、実は科学ではないもの」は、ニセ科学あるいは疑似科学、ジャンクサイエンスなどと呼ばれています。私たちの暮らしの中には、ホメオパシー以外にもニセ科学が数多く潜んでいます。
体験談に従う市民
ホメオパシーの問題は、助産師が新生児にビタミンK2シロップでなくレメディーを投与し、新生児が死亡した事例が明るみに出たことで社会的に脚光を浴び、日本学術会議の会長談話公表に至りました。科学は、仮説がたてられ、実験や観測などによって確かめられ、論文発表され、第三者によって検証され、確認されてやっと「正しい」と認められるというステップがあります。しかし、ニセ科学では体験談が重視され、学術論文はほとんど発表されていません。ホメオパシーの場合には、効果をうたう論文が発表されているものの、ほかの研究によって否定されたり試験設計の質が低いとされており、プラセボ効果(※)に過ぎない、とみられています。
長崎大学の研究者たちが、「疑似科学とのつきあいかた~教師を目指す皆さんへ」というパンフレット(図1)を作成し、2010年度の一般教養課程の講義でテキストとして使用しています。疑似科学(ニセ科学)には、「間違っていることがわかっているのに正しいと主張する」という場合と、「正しいか間違っているかまだわかっていないのに正しいと主張する」ものの2種類あるとしており、ホメオパシーのほか血液型による性格分類、ひと頃流行したマイナスイオン、脳科学などを取り上げ、解説しています。
いわゆる健康食品や健康法、ダイエット法なども、ニセ科学の範疇に入るものが多いと言えるでしょう。健康を増進する科学的根拠がほとんどないか、あっても動物試験の結果だけ、というような製品、方法が数多くあるからです。
ところが、一般市民の生活の中では、科学的な根拠があるかどうかはあまり重視されず、体験談が大きな影響力を持ちます。科学や医学に関する知識が乏しい人が、根拠があるかどうかを調べ理解するのは容易なことではありません。一方で、家族や知人に「これはよかった」と親切に言われると従いたくなる。それは、人として自然の感情でしょう。
あるいは、テレビで好きな芸能人が「これでやせました」「この食品を毎日食べていたら病気が治りました」と言う。「ああ、ならば私も」とつい思ってしまうのです。
そうした気持ちをうまく突く広告宣伝を企業は行い、多くの人たちが科学的根拠を気にせず従ってしまいます。
生命脅かす事態
こうしたニセ科学は、さまざまな悪影響をもたらします。ホメオパシーの不幸な事例は言うまでもなく、いわゆる健康食品は、製品の含有成分や品質が明確ではない製品が多く、有害成分の過剰摂取にもつながりかねません。また、いわゆる健康食品や健康法に頼り、医療機関への受診が遅れてしまい病気の悪化を招く人もいます。
インターネットにはとりわけニセ科学情報が目立ちます。昨年10月、消費者庁は根拠がないにもかかわらず「アレルギー患者が食べられる」と称して、インターネットで卵を通信販売していた複数の業者に対して、保健所を通して指導を行いました。消費者庁は「卵アレルギー患者が、これらのサイトの表現を信じて卵を購入し、摂取することがあれば、患者の生命に関わる可能性がある」と広く注意喚起しています。
ニセ科学は実は、生命を脅かす深刻な事態を頻繁に招いているのではないか。それは表面化していないだけではないか。私にはそう思えてならないのです。
医療関係者が情報提供を
この状況を改善するにはまず、一般市民に科学的な考え方を知ってもらわなければなりません。体験談はあくまでも個々人によって違い、すべての人に当てはまるわけではないことや、プラセボ効果等を理解してもらう必要があります。また、動物実験や細胞レベルの実験結果では、人に効果があるかどうかまったく判断できないことなども伝えて行く必要があります。
同時にマスメディアの責任も問われなければならないでしょう。日本でホメオパシーが広がった大きな要因として、女性誌などがホメオパシーに傾倒する芸能人などを「おしゃれ」「自然の力を尊重する」というイメージで好意的に扱っていたことが挙げられます。マイナスイオンや脳科学も、メディアが積極的に取り上げました。ただし、メディア関係者も今のままでよいと思っているわけではないのです。
私のところにはTV関係者から「科学的根拠は気になるけれど、難しくてどう調べどう判断したらよいか分からない」という声が時折寄せられます。医療や健康に関する科学は急速に進んでいて部外者には極めて分かりにくくなっています。
市民やメディアに適切な情報を分かりやすく届けることが重要です。鍵を握るのは、研究者や医療関係者など、科学をよく知るプロフェッショナルの働きかけではないでしょうか。市民、患者に、個々の状況に応じた適切なアドバイスをしてほしい。気軽に相談に乗る雰囲気を作って、受け止めてほしい。メディア関係者にも折々、分かりやすく説明してほしい。
また、海外では研究者や医療関係者がニセ科学情報を積極的に批判しています(図2)。日本では、こうした人たちの間では「ニセ科学を批判している暇などない」「批判という形でかかわるのさえイヤ」という感覚が強いのですが、事態の深刻さを思うと、科学のプロフェッショナルがもっともっと積極的に声をあげてほしいのです。
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プラセボ効果…偽薬効果。偽薬を処方しても薬だと信じ込むことによって何らかの効果が現れること。
(健康かながわ2011年3月号)