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健康かながわ

人は、なぜ老いるのか─老化は細胞の糖化と酸化から─

人間は何故老いるか

生理学的な意味は何か
もし老化しない動物がいたとしよう。そのような動物と老化する動物とはどちらが生存に適しているだろう。一般に生殖能力は強い動物は寿命が短いとされる。したがって生殖能力が弱く、長生きの動物は怪我や病気で亡くなった場合に、人口が激減する可能性がある。一方生殖本能の強い動物は寿命が短いかわりに、種全体としては、生存に適しているのだ。これが老化が非常に遅い動物が生存しない理由なのである。

さて老化の原因として、現在考えられているのは、細胞の酸化と糖化である。私たち酸素を吸って生きている。酸素は肺から体に入り、細胞に送られる。細胞膜から細胞の中に入ると、栄養素となる物質を酸化する。例えばブドウ糖を酸化する。すると、ブドウ糖は分解してエネルギーを出す。このエネルギーを利用して私たちは生きている。

ところが鉄錆などでも分かるように酸素は栄養物だけでなく、すべての物質を酸化する能力がある。とくに重要なのは酸化力の強い活性酸素を呼ばれるものである。酸素は酸化する時に電子を物質から奪う。その後水素イオンと一緒になって水になるのだ。もし電子が十分にないと、酸素は電子をより多く奪おうとして活性酸素というものになる。これは非常に酸化能力が強い。
細胞内に酸素が入ってくると、どうしても活性酸素が出来てしまう。活性酸素はあらゆる物質を酸化する。つまりサビをつくるのである。膜が酸化されてサビれがば、膜の機能は落ちる。遺伝子が酸化されれば、異常な分裂をおこし、ガン化したりする。さらに細胞は死滅してしまう。
このように考えると息きをするという、生存の必須条件であるが、それは同時に老化への道だということになる。

一方私たちのエネルギー源としてブドウ糖は重要である。ブドウ糖はエネルギーになるだけではなく、その分解産物から脂肪が出来たり、タンパクや核酸(遺伝子の成分)になったりする。さらに脳はエネルギー源としてブドウ糖しか使えないので、ブドウ糖が少なくなると意識を失い、死亡する。
このように生存に必須の物質であるブドウ糖は同時に体の成分と結合して、その構造を変えてしまう。結合したものを糖化物質という。例えば皮膚のコラーゲンが糖化すれば、褐色になる。老人の皮膚が褐色に見えるのはこのためである。また白内障の白い部分は糖化したレンズのタンパクである。このようにブドウ糖は細胞の成分を糖化して機能を異常にさせる。
酸素もブドウ糖の生存に欠くべからざるものであるが、それが同時に老化を起こす物質なのだ。このように考えると生きてゆくということ自体が死に向かっている行為だということが分かる。

細胞が老化しなければどうなるか

細胞を培養すると、細胞の種類により、何回か分裂すると分裂をやめてしまう。そうなると、細胞は糖化、酸化により老化するしかない。最近では核にあるDNAの一部が分裂するごとに切れて短くなり、最後にはその部分がなくなってしまうのがこの現象のもとになる変化だとされる。
ところが癌細胞ではこのDNAの短縮がおこらない仕組みになっている。つまり細胞は永遠に分裂するのだ。そうすると老化しない代わりに、体のなかで広がり、結局個体を死においやる。細胞自体は勝手に分裂しても、個体では異物になるので、臓器の機能は失われる。

さらに癌細胞は分裂にエネルギーと機能のすべてを使われるので、細胞本来の機能は失われることが多い。例えば胃ガンの細胞は、増殖するのが種で、本来の粘膜細胞としての機能は非常に少なくなる。すると、機能をもたない細胞がどんどん増えるとこになり、胃の機能はなくなってしまう。さらに転移がおきれば別の臓器でも同じことがおき、結局個体は死ぬことになる。
このように考えると細胞は普通は次第に老化してゆく、しかし老化しない変化を受ければガン化することになるのである。

寿命について

このように考えると、私たちはいつも息をし、いつも米やパンを食べてブドウ糖をとっているので、細胞は次第に老化してゆかざるをえないということが分かる。人間の場合には120歳を越えることは困難とされる。実際長寿番付の一位の人も110歳代で大抵亡くなるようである。

このように生きている以上不老長寿はありえないということになると、この寿命のなかで、いかに生きるかが大事になる。
仏教の説話に次のような話がある。ある人が死ぬのを恐れて、仏に死にたくないから寿命を延ばしてくれと頼んだという。そこで仏は「ではいくつまで生きたいのだ」と聞くから「400歳までお願いします」とその人は頼んだ。ところが400に近付くと結局同じように死にたくないという。そこで仏は「結局何歳に寿命を延ばしても死ぬ時は同じだ。それより寿命のなかで、よりよく生きることを考えよ」と諭したという。

実際その通りで延ばしても死ぬ日はくるのである。むしろ生きている日々を大切にする方が大事で、願ってもせん無いことを願うのは無意味なのだ。

よりよく生きる

よりよく生きるという場合に、若い時に活躍することを意味する場合と老後を幸せに生きることを意味する場合があるだろう。もし細胞が老化して徐々に死んでゆくなら、最後はボケて寝たきりになるのではないかと人は恐れる。

最近脳の科学で大発見があった。昔は脳細胞は生まれる前には分裂して増殖するが、生まれた後は、突起という手足のように突き出た部分は長くなり、お互いの連絡を多くするが、細胞の数は増さないと言われた。さらに20歳を過ぎれば1日に10万個づつ脳細胞が死んでゆくという話も聞かされた。

すると毎日脳細胞が無くなってゆくのだから、ボケる以外にないような気にもなる。ところが昨年からの研究発表によれば70歳を越えた人でも脳細胞は分裂して増えるということが分かった。

そこで成熟したネズミを使ってどのような場合に脳細胞は増えるかを調べた。すると、ネズミを刺激的で、興味ある環境におくと脳細胞が増えることが分かった。また運動は脳細胞を増やす。しかしいやいややった運動は駄目なのだ。ネズミは水が嫌いである。したがってネズミをむりやり泳がせても脳細胞は増えないのだ。

この発見はなんと素晴らしいことだろう。私たちは今まで脳の細胞は毎日死んでゆく、けっして増えることはないと教えられてきた。しかしそんなことはないのだ。脳の細胞も刺激すれば増えるのだ。体を動かし、楽しい趣味をもち、本を読んだり、絵を描いたり、音楽に親しんだりすることで何歳になっても脳細胞を活性化出来るのである。これがよりよく生きるということなのだ。寿命いっぱいをいきいき、ボケないで生きる、社会に貢献する、そしてよい家族、友人をもつということがよりよい生き方なのである。私もこの話を聞いて、ずいぶんと気が楽になった。本を読むのは知識を増やすためだけではない、脳を活性化し、脳細胞を増やすためでもあるのだ。それがボケを防ぎ、いきいきと生きさせるのである。
以前円覚寺の管長をしておられた朝比奈宗源老師は死について次のように言われた。「私たちは誰でも仏心と言って仏と同じ清らかで永遠の心をもっているのだ。しかし生きている間はこれに気づくものは少ない。しかし死ぬということはこの仏心の世界に帰ることなのだ」と。

このような考えも死について安らぎの感じを与える。しかしもっとも重要なのは如何に生きるかである。そしてよりよく生きるためには、脳がしっかりしていなくてはならない。そして脳を健全にするには脳は衰えるだけでなく、考え方、生き方、努力の仕方を工夫することでいつまでも若々しさを保つことが出来ると考え、その方向で生きてゆくことが大事なのである

(健康かながわ1999年8月号)
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