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遺伝子の扉をひらく PartⅠ─遺伝子診断のいま─

「太りやすい体質」を髪の毛から調べる

「どうして髪の毛1本で肥満体質って分かるの?」「私って肥満体質?」。
最近、女性誌でこんなタイトルの記事をみかけるようになりました。髪の毛から肥満に関連する遺伝子を見る「三菱化学ビーシーエル」の検査を紹介する記事です。費用は約1万円。こんなに手軽に自分の遺伝子の一部を知ることができるようになったのです。

私も受けてみました。髪の毛2本を抜いて、毛根部分をつけて約1センチにカットし、専用の容器にいれて送るだけです。結果は約2週間後、親展で郵送されてきます。

しかし、検査の前には検査同意書にサインしなくてはいけません。「完全な自由意思に基づいて実施されます」「申し込みの翌日より起算して7日以内に限り、本人の申し立てにより、検査の契約を自由に解除することができます」など、本人の意思を確認する言葉が並びます。

遺伝子は一生にわたって変化しません。「知っても変えようがないなら、知りたくない」と思う人もいるかもしれません。心が変わったとしても、一週間以内なら取り消せるようにしてあるのも、デリケートな問題をはらんだ「遺伝子検査」の特性ゆえなのです。

私は身長一五五センチ、体重は四九キロ。両親はどちらもやや太り気味。自分は子どものころは太っていたのですが、現在は標準体重になり、食べるほどには太らないので、「太りにくい体質なんだろう」と思いこんでいました。

しかし、数週間後届いた結果は、「太りやすい体質」でした。かなりショックではありました。スポーツクラブによっては、会員サービスの一つとして遺伝子検査を行うところが出てきています。「ちょっと高いけれど自分の体質を知りたい」「両親が少々太り気味なので自分の将来が気になる」という人たちに人気ということでした。

三菱化学ビーシーエルは、ドーピング検査などを行う臨床検査会社です。この事業を始めたのは昨年からで、女性誌が取り上げたために一気に知られ、直接依頼してくる人も多いといいます。申し込みは月200件を超すこともあるそうです。

実は、「太るかどうか」は環境などの要因も大きく、そのメカニズムは完全には解明されていません。肥満に関しては、多くの遺伝子が研究対象になっています。

京都府立医科大学で肥満外来を担当する吉田俊秀講師が注目したのは「β3アドレナリン受容体遺伝子」でした。この遺伝子に変異がある人は、そうでない人に比べて、1日のエネルギー消費量が平均で約200キロカロリー少ない。つまり、同じ量を食べても、より太りやすいことが分かりました。三菱化学ビーシーエルが調べるのも、この遺伝子です。

この遺伝子では、日本人は3人に1人、欧米人は10人に1人が、「太りやすい」変異をもっているといいます。「太りやすい体質」であることは、遺伝子の異常ではありません。血液型が違うような、一種の「個性」のようなものです。

「将来のがん」を発症前に知る

変異があると病気に直結するような遺伝子を調べることも、現在では可能になっています。
五十代の会社員Aさんは、子どものころ両親と死別しました。漠然と「早死にの家系なのだろう」と思っていたが、その後、弟、兄、妹が消化器系のがんで亡くなり、疑問に思うようになりました。詳しく調べると、遺伝子の変異によるがんで、自分ががんになりやすい体質であることが分かりました。

弟の死因は「家族性大腸ポリポーシス(FAP)」から起こるがんでした。担当医は「遺伝する病気。家族全員を調べたほうがいい」といいました。初めてその病気の名前を知った、看護婦をしているAさんの妻は、病院の図書館で専門書を読んだといいます。

FAPは10歳から20歳ごろに大腸にたくさんのポリープができる病気です。放っておけば20代半ばで約1割、60歳までにほぼ100%の人が、がんになると報告されています。親がこの遺伝子の変異をもっている場合、子どもに遺伝する確率は5割です。

Aさんが大腸の検査をしたところ、大量のポリープがありました。悩んだ末、大腸の全摘手術を受けました。今では、大腸がんになる不安からは解放されています。

Aさんは一昨年、主治医の紹介で長野県の信州大学遺伝子診療部を訪れました。ここは全国でも初めて誕生した、内科や外科、カウンセラーなどがチームを組んで遺伝子医療を考えていく部署です。Aさんは、生前、弟の許可を得て採っておいた血液と、自分の血液を検査してもらいました。同じ遺伝子の変異がみつかり、「FAP」と診断されました。

Aさん夫妻の当面の悩みは二十代の長男と長女です。「遺伝する病気」と説明し、大腸の検査を何度か受けさせました。しかし、遺伝子診断はまだです。遺伝する可能性が5割であることも、遺伝子変異をもっていた場合にはほぼ100パーセント大腸がんになることも話していません。

「はっきりした方が安心か、知らない方が幸せか、本人の考えに任せようと思っています」とAさんの妻はいいます。夫婦にとって気掛かりなのは、結婚して数年になる長女の夫婦に子どもがないことです。「病気のことを心配して子どもを作らないのでは」と心配ですが、長女には聞けないままです。

このように、遺伝子は家族で共有しています。私たちの体は、お父さんからの遺伝子を半分、お母さんからの遺伝子を半分もらってできています。その割合は、ちょうど半々で、「お父さんと性格が似ているから、体質もきっとお父さん似だろう」といった推測はまったくの間違いです。

将来は「個別の医療」へ

薬の副作用の大きさと、遺伝子との関係も研究されています。
同じ抗がん剤を投与しても、副作用は人によって数十倍も違います。東京大学ヒトゲノム解析センターの中村祐輔センター長によると、アメリカでは年約200万人薬の副作用で入院し、約10万人が死亡しているといいます。日本でも、毎年たくさんの人が、がんそのものではなく、抗がん剤の副作用によって命を落としています。
 副作用だけではありません。ある種の薬が体の中で分解できないという遺伝子の変異もたくさんあります。例えば、よく使われる抗生物質「ストレプトマイシン」は、ある遺伝子の変異をもっている人に投与すると、難聴を引き起こすことが分かっています。投与する前に、ストレプトマイシンをその人がちゃんと分解できる力があるかどうか、遺伝子診断をすることが望ましいでしょう。

ほかにも、小児白血病の治療に使われるチオプリン系の薬品が分解できない遺伝子変異をもつ人もいます。その人にこの薬を投与すると、薬の成分が体の中にたまってしまい、骨髄を破壊してしまいます。この遺伝子変異を持つ人の割合は、アメリカの研究によると0・3パーセント、300人に1人です。決して少ない数字ではありません。不整脈治療に使われる「プロカインアミド」が代謝できず、深刻な肝臓疾患になってしまう変異を持つ人もいます。

「薬理遺伝学」とよばれるこの分野の研究はまだ始まったばかりです。研究が進めば、将来は、遺伝子を調べて、その人の薬の分解能力にあった量の薬を投与するようになるでしょう。中村センター長は「今後三年から五年で、薬の投与の仕方が変わってくるでしょう。遺伝子診断により、『オーダーメードの医療』が可能になります」と期待しています。

遺伝性のがんは全体の1パーセント程度

遺伝性のがんは、がん全体の1-2%。20代から30代のがんの約3割を占めています。
現在では、日本人の死因の3割を、がんが占めています。ですから、家族でがんが多いからといって、すぐに遺伝性のがんを疑う必要はありません。国立がんセンター研究所(東京都中央区)の山口建・副所長によると、専門家が遺伝性のがんを疑うのは、(1)発病した年代が若い(2)まれな病気が家族に多く発生している(3)同じ臓器にたくさんの病気がでたり、異なる臓器に同じ病気が発生したりする場合といいます。

家族性大腸ポリポーシスのように、遺伝子診断によって変異を発見し、定期的に検査を受けたり予防的に切除したりすることで、がんへの進行を防げる病気があります。「発症前に確実に診断できる」「予防的な外科手術などで発病が防げる」といった、医学のまったく新しい側面が誕生しています。糖尿病や高血圧などの生活習慣病やアレルギー疾患なども、遺伝子との関連が研究されています。

こういった遺伝子が分かれば、例えば「あなたは普通の人よりも、糖尿病になる危険性が3倍です」などといった予想ができるようになり、その人は普通の人よりも厳しく食事を制限したりといった対策をすることで、発症を未然に防ぐことができるようになります。

(健康かながわ2000年1月号)
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