情報サービス
健康かながわ

ゲノム解読の最前線

ゲノム解読の狙い

遺伝子は、DNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる縄ばしごをねじったような構造の化学物質でできている。遺伝暗号の文字に当たるのが、はしごの足をかける部分を構成する塩基で、アデニン、グアニン、シトシン、チミンと呼ばれる。この仕組みはどの生物にも共通している。

地球上には数百万種の生物が生息していると言われる。どの種のゲノム解析に取り組むかについてはそれぞれ背景がある。  ヒトの場合、どのように進化してきたのかという生物学的な興味はもちろん、病気の原因となる遺伝子を発見すれば診断や治療に役立つ。

病原性を持った細菌も、治療への道を開く可能性がある。例えば、胃がんの原因とされるヘリコバクター・ピロリは1997年、結核菌はその翌98年に解読が完了した。米エネルギー省が5月9日に解読を終えたと発表した腸球菌も抗生物質に対する耐性が問題になっている。

また、酸素の乏しい環境や極寒、高温といった環境下でも平気で生存している種がいる。100度でも生息できる超好熱細菌は解読が終わったが、その遺伝子を解析することは悪条件で生育する植物の品種開発につながるかもしれない。
実験材料として利用される大腸菌、酵母、ショウジョウバエ、線虫、マウス(塩基対約30億)も研究対象になった。これらの種はこれまでの研究で多くの遺伝子が発見されており、ゲノムを解読することは生物の仕組みをより理解する上で役立つ。

解読の流れ

ゲノム研究は80年代後半、米国におけるヒトゲノム研究の推進で幕を開けた。同じころ、欧州でも酵母のゲノム解読が本格化した。新薬や病気の診断につながるヒト、病害に強い植物開発につながるイネに代表されるように、国家戦略の色彩が強いゲノム研究だが、進化や発生の過程を探る重要性も認識され、90年代に入って世界中で官民の研究機関が活発な解読競争を展開した。

全ゲノムが解読された最初の種は塩基対の数は比較的少ないインフルエンザ菌だった。これは当初、インフルエンザの原因と考えられたが、後になって間違っていることが分かったという経緯がある。解読したのは95年、米国の民間研究所で、当時の責任者はクレイグ・ベンター博士。ベンター博士は現在、米バイオベンチャー企業「セレラ・ジェノミクス社」の社長を務める。ヒトのゲノム解読を公的資金で進める日米欧の国際共同プロジェクト「国際ヒトゲノム計画」を追い抜いたことで、一躍注目を集めた。

インフルエンザ菌、マイコプラズマなどに次いで、財団法人「かずさDNA研究所」(千葉県木更津市)がラン藻の解読に成功し、96年にその結果が専門誌に掲載された。一つの種をまるごと解読したのは日本の研究機関ではこれが初めてで、大学の研究者らを驚かせた。

同研究所は、木更津市周辺の地域開発を進める千葉県が、ノーベル賞を受賞した利根川進・米マサチューセッツ工科大教授らの助言を受けて94年10月に発足させたユニ ークな組織だ。 ラン藻は地球上で光合成の能力を持った最初の生物で、光合成の研究が進めば環境問題や食糧問題の解決につながると期待される。

現在、同研究所はペンペン草の名前で知られるアブラナ科の植物シロイヌナズナの解読にに取り組む。これは日米欧の共同プロジェクトで、小麦や大豆など産業上、重要な作物と共通している遺伝子が多くあると考えられている。今年秋にも高等植物として初めて塩基配列の解読が終了する見込みだ。  この間、結核菌や大腸菌など人間生活とかかわりの深い種で解読が終わった。

また、セ社は実験生物として価値の高いショウジョウバエの解読を今年3月に終えた。マウスに関しても今月1日、3分の1の解読を終えたと発表した。

国立遺伝学研究所の五條堀孝・生命情報研究センター長(分子進化学)は「多くの 種のゲノムを比較することで生命の進化の過程が見えてくる。人間のゲノムにも他の種のゲノムが入り込んでいることが分かってきた。人間一人一人の顔が違うように、生物も多様だが、同時に共通項を持っている。ゲノム解読が病気の診断や医薬品の開発につながるには、まだ時間がかかるだろう。しかし、ゲノム解析が進むことで、他の生命の大切さを実感するきっかけになる」と話している。

日本の貢献は?

大石道夫・かずさDNA研究所長(分子生物学)は「ゲノム解読という全く新しい分野に対し、日本政府は欧米に比べて取り組みが大幅に遅れた。主要な生物種ではこの1、2年で塩基対を読む作業は終わる。今後は、病害に強い植物の育成を進めて食糧問題などの分野で国際的にリードしていかなければならない」と話す。

植物の分野で、日本が貢献しているのがイネ(塩基対数4億3000万)だ。コメは世界の人口の半数が主食としており、冷害や病気に強いイネの品種改良は安定した食糧供給には欠かせない。日本の提案で91年に始まり、10カ国・地域が参加している。農水省農業生物資源研究所は「重要な遺伝子の解析を2004年までに終えたい」と意気込む。
成果の一つとして、同研究所は、イネの草型を制御する遺伝子を発見し、名古屋大大学院生命農学研究科との共同研究で、この遺伝子を組み換えて背丈が低く葉が直立した品種を作ることに成功した。風で倒れにくく、光合成の効率も良い利点がある。今後、安全性などの研究を続け、実用化を目指すという。

「国際ヒトゲノム計画」では23対ある染色体のうち、理化学研究所や慶応大が21番、22番染色体の解読に参加した。解読の寄与度を国別にみると、日本は米国(67%)、英国(22%)に続いて7%となっている。
このほか、97年に解読を終えた大腸菌では岡崎国立共同研究機構と奈良先端科学技術大学院大学、97年の酵母では理化学研究所が貢献している。線虫では国立遺伝学研究所が遺伝子の配列決定に対して世界トップの寄与度を誇っている。
塩基配列を解読したというのは、古代文字を発見しただけに過ぎない。文字の持つ意味は何かがこれからの課題となる。今後、解読結果の活用の分野で日本の研究機関の積極的な関与と貢献が期待されている。

(健康かながわ2000年8月号)
中央診療所のご案内集団検診センターのご案内