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医療制度改革のゆくえ

昨年4月に颯爽と登場した小泉純一郎内閣は、「聖域なき構造改革」を掲げ、国民の高い支持率を得ました。その「構造改革」の大きな柱となるものの一つが「医療制度改革」。厚生労働省は、昨年9月、その議論のたたき台となる「医療改革試案」を発表。それに対して10月「医療生徒改革の論点」という財務省案が出され、さらに11月には政府・与党案として「医療制度改革大綱」がまとめられるなど議論が輻輳化してきました。

そこでこれまで何が論点となり、どのように議論が進んでいるのかを、医療ジャーナリストの吉野晶雄さんに整理してレポートしていただきました。

改革は第2ラウンドへ突入

長引く景気の低迷の一方、ますます人口の高齢化は進んでいる。こうなると当然のこと医療保険財政が破綻することは避けられない。そこで昨年9月、厚生労働省は「医療改革試案―少子高齢化に対応した医療制度の構築」を発表した。これを契機に財務省から案が出され、その後、政府・与党に場を移し、11月末に「医療制度改革大綱」がまとめられた。これを受けて年末、来年度予算の政府案をまとめる際に診療報酬のマイナス改定が決まった。ここまでが第一ラウンド。そして現在、医療保険改革をめぐる動きは第2ラウンドを迎えている。

では第1ラウンドである昨年の医療保険をめぐる動きは何であったのか。ざあっと昨年の流れをおさらいしてみよう。

昨年4月に登場した小泉内閣は、「聖域なき構造改革」を掲げて高い国民の支持率を獲得した。それは医療も例外ではなかった。
実際の政策づくりは、従来の行政機関やいわゆる族議員らによる根回しによる調整という手法から、大統領諮問委員会のような委員会を設けて、ここで「骨太の方針」を練りこんでいった。具体的には6月の経済財政諮問会議の提言、7月の総合規制改革会議の中間まとめがそれである。この中で医療に市場経済を大胆に導入することや、従来の手法にとらわれない思いきった改革を迫ることになる。

医療費抑制は制度改革以外不可能

imageこの頃、厚労省は来年度予算の概算要求に向けて準備に入っていた。医療費について何も制度改正をしなくても増加するいわゆる「自然増」だけでも5500億円にのぼるにもかかわらず、増加分はわずか2800億円しか認められなかった。したがって厚労省は差額の2700億円の抑制を義務付けられたのだ。これだけの巨額な圧縮を達成するには制度改革以外は不可能だ。

そこで厚労省は来年度予算の概算要求をまとめた直後の9月25日、「医療改革試案―少子高齢社会に対応した医療制度の構築」を発表した。その主な内容は、 ①老人保健制度の対象年齢を70歳から段階的に75歳に引き上げ、②患者一部負担割合について、被用者本人負担を3割、70歳から74歳を2割、75歳以上を定率1割(高所得者は2割)に引き上げ、③老人医療費の伸び率管理制度の導入―というものであった。この伸び率管理制度というのは、医療費の伸びを年率4%程度に設定し、それを上回った場合、2年後の診療報酬単価を下げるというものであった。

90年代の国民医療費は4.6%の増加であるのに対し老人医療費は7.8%と突出していた(図)。99年度では医療費増加額1兆円のうち老人医療費が9000億円を占めていた。医療費を抑制するということはまさに老人医療費を抑えるということになる。そこで厚労省は医療費抑制の切札としてこの伸び率管理制度を老人医療費にしぼって打ち出したのだ。

舞台は霞が関から政府・与党へ  

ところがこの厚労省の試案は評判が悪かった。まず、10月4日には財務省が独自案を発表した。同じ霞ヶ関でこのように他の省が口をはさむのはきわめて異例のこと。財務省案は厚労省の年齢によって自己負担率を区分していたものを、年齢に関係なく原則3割としていることと、伸び率管理でも厚労省は高齢者医療に限定しているのをすべての医療費に広げるように求めていた。同月9日には、経済財政諮問会議の民間委員4人が財務省案を支持する姿勢を見せた。

やがてこの医療改革論議の舞台は霞ヶ関から政府・与党に動いた。11月29日には政府・与党社会保障改革協議会(主宰・小泉首相)のワーキングチーム(座長・宮下創平・元厚相)が「医療制度改革大綱」を決める。この主な内容は、まず、①被用者保険の自己負担3割への引き上げは「必要なときに実施する」と曖昧な表現で先送りを示唆、②70歳以上の高齢者の窓口負担は1割(ただし、月額上限<200床以上の病院は5000円、200床未満の病院と診療所は3000円>は撤廃して完全定率制に、③伸び率管理制度の導入は見送り、④診療報酬は引き下げる方向で検討―ということになった。

結局、実施されることがはっきりしたのは2つだけだ。1つは、診療報酬についてこの後の12月に政府・与党が合意、診療報酬改定1.3%の引き下げ、薬価・材料1.4%の引き下げ計2.7%のマイナス改定されることと、2つには、70歳以上の自己負担が定率になったこと―この2つにすぎない。まさに大山鳴動して鼠一匹。医療改革は先送りされて、単なる財政対策に終始したということだ。

これまで医療保険改革は挫折の連続だった。自己負担が1割になったのは1984年のこと。そして97年にはこれが2割になった。この引き上げの時に、医療保険制度を抜本的に改革するということが関係者の前提条件であった。早速、改革は高齢者医療、診療報酬体系、医療提供体制、薬価制度の4つの見直しに軸はしぼられた。

そして厚生省は4つの改革の突破口としてまず薬価制度の改革を選び、日本型参照価格制度という新しい仕組みの導入を図った。しかし、有力団体などの反対で99年春、自民党はこれを白紙にして改革は頓挫した。

次に厚労省は高齢者医療制度を改革の突破口にするため、省内に「高齢者医療制度等改革推進本部」を設け、高齢者医療費の抑制をめざした。これが今回の改革論議が起こる契機となった先の「試案」に結びつく。しかしこの結果も実に無残なものに終わった。

待ったなしのはずの医療保険の抜本改革は、このようにいくども挫折し、先送りが繰り返され、いよいよ財政破綻の日は近づいている。ある厚労省の官僚が自嘲気味にこういった。「抜本改革の抜本とは、根本を抜くという意味か」

(健康かながわ2002年2月号)
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