情報サービス
前のページへ戻るHOME > 情報サービス > 健康かながわ > バックナンバー > 村上陽一郎氏 生命科学から問う Part1
健康かながわ

村上陽一郎氏 生命科学から問う Part1

現代は健康ブーム!?   社会構造、疾病構造の変化

image-[編集部]-
多くの著書、講演などを通じて医療と安全というテーマを追求されている先生に、きょうはいろいろな話をお聞かせいただこうと思います。まず、ここ数年、書店には健康の専門雑誌が並び、テレビでも健康を取り上げる番組が目につきます。健康ブームと捉えていいのでしょうか。あるいは、人々が健康に関心を抱くようになったのは、別に理由があるのでしょうか。

村上
何をさして健康ブームと呼んでいいものかどうか私にはわかりませんが、科学雑誌などが減っているのに比べると一般向けの健康に関する雑誌、あるいは情報といった ものは増えているようです。一方では、疾病構造の変化も挙げられると思いますけれど 。
ある説によれば、文明の度合が低いと人々は消化器系の感染症に苦しんだり、死ん だ りすると言われます。文明がすこし発達しますと、消化器系の感染症はある程度克服さ れ、代わって呼吸器系の感染症が猛威をふるって人々を悩ませる。さらに文明が発達し 、これが克服されると、いわゆる生活習慣病が社会の中心にあらわれる、というわけで す。この説にはさらに一段、つぎの場面がありまして、社会の成員の大多数が社会と折 り合 うのが難しくなっていって苦しんだり、死に追い込まれることもある、といいます。

なるほど言われてみると、江戸から明治にかけての日本ではコレラや、赤痢、腸 チフスといった病気が流行しました。つぎは昭和の初めに、当時の死因の一位に躍り出 る結核が猛威をふるいます。そうした状態を経て現在は、高齢化を背景としたがん、生活習慣病が問題になってきています。

その人固有の、完治しない病気

--生活習慣病は、文明の発達とも関連があるということでしょうか

村上
そうだと思いますね。生活習慣病について私がよく話しますのは、半分ははまず 、遺伝的な要素が引き金となって起きるということです。たくさんの遺伝子がからみあった「ポリ・ジェネティック」な状態から発症する。そして、もう半分は、塩分や脂肪分 の摂りすぎであるとか、運動不足であるといった、その人が成人するまでに過ごしてき た生活要素が大きく影響しています。成人を迎えるまでの過去の履歴が如実にあらわれ ると言っていいでしょう。

半分が遺伝的要素、半分は個人の生活履歴がからみあって発症する病気とすると、生活習慣病というのは「その人固有の病気」なんですね。しかも、いったん発症してしま うと「完治・根治」のない病気でもある。がんなどは腫瘍部分の全摘出手術を施せば再 発の心配は少ないとされていますが、生活習慣病を発症すると、その人が死ぬまでつき あうことになります。私事になりますが、血圧をコントロールする必要のある私の母は 七十代から血圧降下剤の服用を始め、かれこれ三十年近くが経ちます。おそらく母は、 死ぬまで薬とつきあっていくことでしょう。 こういう見方もできるでしょうか。

診断をしてもらう医師から「もう明日から病院へ来なくてもいいですよ」と言われる ことのない病気が生活習慣病だとすれば、医師や看護師、コ-メディカルといった医療の専門家の存在も大きいが、それ以上に病気と向き合う「本人・家族の力」が、感染症な どの治療と異なってとても大きいものになると思います。食事療法や適度な運動の習慣 化などを通じて、いまの状態よりも悪化させずに、何とか自分の健康と折り合いをつけ ていく病気でもあるわけですから。

生活習慣病を発症させない、いわゆる「未病」状態を長く保つことが求められている 時代だからこそ、人々の健康に対する意識の高まりは必然としてある、と言えます。こ れも健康ブームの背景にあると思いますね。

セルフ・メディケーションに向かう社会 

--健康増進法の施行も、健康への意識を高めることになったのでしょうか

村上
医療側にいる人たちの間からも「セルフ・メディケーション」が語られ始めた理由の一つには、企業の健康保険組合が破綻寸前であるという厳粛な事実があります。
ちょっとした風邪なら医者にかからずに市販薬で済ませるとか、健康管理をしっかり として薬を飲まなくてもいい暮らしをするとか。生活習慣病を「未病」状態でくい止め る工夫を、個人も組合もしていますね。医療費節減のために、できる範囲で、さまざま な手段を講じているわけです。

ある企業の健康保険組合では、指先に針をさして採血し、試薬を使って簡単にできる 血液検査キットを組合員に配布しています。試薬による血液の変化の状態も示した比較 表も添付してあるそうです。自分で試してみて、何か異状や変化があったら保健室に相 談に来てください、医者の診断を受けてくださいといった狙いです。これなどは、職場 という身近なところでの予防医学的な取り組みと言えます。社会全体がセルフ・メディ ケーションの流れにいっていますね。それにはさまざまなプレッシャー的要因が作用し ています。健康増進法もその一つと言えるかもしれません。

そもそも「生命科学」とは?  現代科学史として興味深い領域

--先生が考える「生命科学」とは、どのような領域なんでしょうか

村上
分子生物学、生物化学という学問領域はすでにあって、そこに人の健康や病気に かかわる医学が入り込んで生命科学になっていった、と位置づけていいと思います。
そもそも「生命科学」とは、三菱化学生命科学研究所の設立に関わり、初代の研究所 長に就任した江上不二夫博士(東京大学名誉教授・故人)が*提唱したものです。この呼び名が世に出てまだ 四十数年といったところではないでしょうか。いまでは*木村利 人教授が取り組む生命倫理、医療倫理の考え方も組み込まれて、その領域で得られた知 見が、医療現場の多くの臨床で応用されるようになっています。医学と生命科学の領域 がオーバーラップする部分はますます広がりをみせるのではないでしょうか。

安全学へのステップ

--著書にありましたが、先生は一時期、医師をめざしていらっしゃいます

村上
はい。私は、父が小さいながらも開業医をしていた関係で早くから医業をめざしていました。しかし、高校生のときに肺結核を患います。病気がピークを迎える頃にス トレプトマイシンの投与も受け、医師をめざす前に、患者になってしまったんです。
医学者になることは断念せざるを得ませんでしたが、医療にいのちを救われた恩義と 、医療に対する不満を抱える患者としての問題意識が、その後取り組む「安全学」への ス テップになったのは間違いありません。

科学史、科学哲学の専門家がなぜ、生命科学に興味を示し、医療、産業の安全学に近 づいたのか、よく聞かれることではあります。治療を受けることを通じて自らが、とも すれば安全という概念がないがしろにされがちな医療の現場を目撃していること、さら には現代科学史としての面白さをはらむ安全学に、何も触れずにいるのでは知的におも しろくない。そういう気持ちもあって取り組むようになったんです。

(健康かながわ2004年1月号)
中央診療所のご案内集団検診センターのご案内