情報サービス
前のページへ戻るHOME > 情報サービス > 健康かながわ > 健康志向と自己管理
健康かながわ

健康志向と自己管理

急激な変化を続ける新時代文明は、私たちの暮らしに豊かさと便利さを与えてくれました。健康面でも、医療技術の革新的な進歩が「人生80年代」を可能としました。長寿社会の幕開けです。私たちが健康について考えるとき、それは単に体の健康ばかりではなく、心を含めたトータルな健康を意味するようになりました。まさに21世紀は「心の時代」なのです。今回は健康志向と自己管理(セルフケア)のテーマで北里大学名誉教授、当協会非常勤理事・酒井糾先生に寄稿いただいた。

改めて問われる人間の健康志向―人間をめぐる状況との関係―

健診・検診についても心の問題は避けて通れません。高名な精神病理学者・フロイトが、感情の中でもとりわけ不安に関心を寄せたように、「人間は不安が心に働きかけて自分自身を守る仕組みを形成する」と言っています。
したがって、精度の高い画像診断技術や遺伝子診断技術が進んだ場合でも、治療技術が伴わないのであれば、人に不安要素を与えることにしかなりません。つまり、人の心がついていけないということです。

人間自身の本質との関係

近年の認知論の指摘にも見られるのですが、日本人は元来、自立心、主体性、自己責任感に乏しい民族であると見られているようです。その原因としては、終身雇用とか、年功序列とか、国民皆保険とか、一民族国家であるとか、島国であるとか、自分の時代をなんとか過ごせればそれでよいとか、俗なたとえでいえば「わかっちゃいるけど止められない」とか、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった世相がはびこっていると思えばよいのではないかと思います。

特に健康についていえば、日本人に限らず人間は本能的に健康志向ではないとされています。「わかっちゃいるけど止められない」という現象にメスを入れるとすれば、まず生理的痛みを伴わせる、つまり「病気になりますよ」「長生きできませんよ」といった証拠をつきつけるとか、生活的な痛みを伴わせる。
つまり生活費への負担を強いるとか、役職に就けないようにするとかです。そうすれば人間は考え方を変えていくでしょうし、価値観も変わるでしょう。

個人を変えていく必要性

このように、個人を変えていくのが必要とされることが明らかになったのは1990年代の情報科学、認知科学、行動科学の進歩によるところが大きいとされています。そういえば、社会を変える三要素として、「国の政策」「テクノロジーの進歩」そして「人の価値観の変化」によるところが大きいとされてきました。最も大きな影響を与えるのが国の政策とか制度の見直しとかいったトップダウン的に行われる強化策です。

国の強化策でやるという意味では、2002年7月26日に成立した「健康増進法」がまさしくそれです。日本人が最も不得意とする自己管理(セフルケア)による健康強化策です。この法律は、「健康日本21」プロジェクトをそのまま横すべりさせています。不特定多数の集団に対してのストラテジー(戦略)では自己責任を問うものが多く、喫煙、飲酒、暴飲暴食を認知論、行動論といった科学性に基づいた理論で矯正させようとするものです。

2000年に入って認知理論、行動理論の理論展開によってケアの理論が極めて興味深いものとなってきました。特に慢性疾患患者(喫煙者、飲酒愛好者、自己管理不良者と置き換えてください)のセルフケアについてです。
慢性疾患患者の生活においては「わかっちゃいるけど止められない」というのは認知論、行動理論的に日常のセルフケアには最大の妨害要因となるのは明らかです。逆に「治療と管理」は生活していくうえでの最良の防御要因であるのも間違いありません。最近の取り組みで注目されているコーチング・マネジメントがこうした所で活かされ始めています。

今まで、病気の管理がセルフケアの中心とされてきましたが、この10-20年、ケアの理論が改めて問われるようになりました。その一端をご紹介すれば、「医療技術を生活技術にする」とか、「体験を助ける活動・行動のほとんどすべてにルールがある、目標がある、やるかやらないかとするチャレンジ感覚がある」、とする見方です。こうした二面性があるのが明らかにされたのも、認知論・行動論の理論的展開によるものなのです。

image近年、慢性疾患患者は病者という視点での対応というよりは「臓器障害者」としての対応の方を重視する時代となりました。そこでは病気と常に関わった生活が要求されており、これにより、治療・管理といった防御の生活も期待できますが、病気との関わりというストレス感覚が不安要素となって心に影響し、それが連鎖して生活・行動を制限し、病気そのものに悪影響を及ぼしたり、また逆にそれが原因でストレスが生じるように連鎖-逆連鎖の図式が成立してしまいます。

そこで、セルフケア能力獲得のために認知しなければならないことが生じます。つまり、自分自身でいかにコントロールしているかという能動性、言い換えればケア能力を獲得するとしたコントロール感を持たせる認知活動を重視するのです。
こうしたケア能力獲得と維持に向けた援助がセルフケア教育ということになるわけです。
慢性疾患患者が疾患に即した生活・行動を獲得し、維持することは慢性疾患の管理の重要な部分を占めていますが、治療・管理すること自体が苦痛でもありますので、生活・行動を獲得したり維持したりというのは至難の業となります。

そこで必要不可欠となってくるのがセルフモニタリングという方法です。これは患者自身が自己の行動や生活態度を観察し、記録することによって具体的・客観的に気づき、評価可能なものとする手続きにほかなりません。日常生活のありのままを記録する生活ノート、自己管理ノートといった類のものです。これが体験的認知とか内省的認知を促進してくれるのです。

慢性疾患患者では、何と言っても病状変化の認知が難しく、一筋縄ではいきません。なぜなら認知プロセスに無意識も含めた種々の心理的抑制が働くからです。この認知プロセス自体の問題に加えて自分自身の失敗が悪化要因であればなおさらのこと、認めたくない、とする認知の抑制は当たり前です。こうした事柄をクリアしてあげるのが援助でしょう。

また、別の視点で慢性疾患患者のおかれている状況を考えますと、病そのものの原因が分からない、理解できない、次に無症状が初期症状であることが理解できない、自分で何をすればいいのか、効果が自覚できない、病気が一生続くという時間的無制限性が患者本人に対するストレス要因となり、先の図式、つまり不安が心に働きかけ、生活・行動に影響を来たし、それが病気そのものに悪さをする、その悪さが逆連鎖して不安要因を作るというように悪循環を来すことになるのです。
1世紀の脅威は生活習慣由来の慢性疾患だとされています。是非、健康志向とセルフケアの大切さを再認識して頂きたいと思います。

(健康かながわ2007年7月号)
中央診療所のご案内集団検診センターのご案内