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健康かながわ

リスクコミュニケーション

私たちの生命や健康を脅かす現代社会の様々な脅威。そのリスク(危険性)について真摯に考え、受け止めようという試みが行われるようになってきた。日本人は元来、こうした話では冷静な対処が不得手だが、食の安全、感染症など諸問題が新たに生まれ、市民の意識は徐々に高まってきた。リスクとの付き合い方を学ぶ時代なのかもしれない。(読売新聞東京本社科学部次長・佐藤良明)

「リスクと付き合う」という発想は、誰もが漠然と「必要なことではある」と思っていた。明確になってきたのは、リスクコミュニケーション(リスコミ)という言葉が登場してからだろう。「リスクに関係する人が情報を共有し、意見交換して理解を深める過程」という意味を持つ。

もう少しかみ砕けば「誰にでもわかりやすい情報公開」ということだ。欧米では1980年代、食品の安全性や化学物質の人体への影響といった環境問題を巡って注目された。日本でも90年代に徐々に広まってきた。
「リスクと付き合う」ために、私たち市民が果たすべき事柄もあるが、行政や専門家の努力も必要になる。リスクの中でも「食の安全」は、日々の暮らしで一番身近だ。この分野での取り組みをみれば、リスクと付き合うとはどういうことなのかが見えてくるだろう。

リスク分析

ここでは「食品安全委員会」を紹介する。おさらいすれば、同委員会はBSE(牛海綿状脳症)など様々な問題に対処するため、2003年に内閣府に設置された。主な役割は、食の安全を確保するため「リスク分析」を行うことだ。
リスク分析という難しい言葉を大雑把に説明すると、ある食品が人体への悪影響があるかどうか、その危険性を科学的に調べ、もし規制する必要があるなら規制する。そして、どの程度の危険性があるのか、ないのか、情報を公開・共有し、理解を少しでも深める(リスコミ)ということになる。

例えば「特定保健用食品としての大豆イソフラボンの安全な一日上乗せ摂取量は上限値30ミリ・グラム」との評価結果(06年5月)をまとめたほか、いわゆる健康食品のコエンザイムQ10については科学的なデータの不足を理由に、「安全な摂取上限量を決めることは困難」との結論(06年8月)を出すなどしている。
いずれにしても、どんな食品にもリスクはあるという前提に立っている。だからこそ私たちが「余分な」心配をしないように、リスコミが大切なのだ。

試行錯誤の積み重ね

10月24日、東京・永田町の食品安全委員会事務局で「リスクコミュニケーション専門調査会」が開かれた。
リスコミは日本で定着の途上だけに、取り組みは試行錯誤にも見える。専門調査会が検討しているのも、地域での指導者の育成などをめざす「地方自治体との協力」、食の基本から学ばせる「食育」、市民に不信・不安を植え付けないための「審議の透明性の確保、情報公開のあり方」などだ。中身は確かに地味だが、リスコミ普及へ一歩一歩、試みていくしかない。

調査会の席上、調査会座長の関沢純徳島大教授は「一方的に誰かに教え込むのではなく、消費者、生産者が協力しないと食の安全は達成できない。様々な努力のプロセスが必要になる」とリスコミの在り方について語った。ゼロ・リスク(100%安全)にとらわれず、現実を冷静に直視する意識が私たちに求められている。

即時対応のリスク

リスクには、前述のように、将来の健康への影響といった長期的な視点で考える問題もあれば、一方で、今ただちに生命が脅かされるかもしれない事柄もある。感染症の流行はその一例といえるが、「リスクと付き合う」ことの意味を、私たちに考えさせる出来事が03年の新型肺炎の流行時に起きていた。
思い起こせば、新型肺炎は東アジアで主に流行、死者が多数出た。03年5月、近畿地方を観光旅行した台湾の医師が帰国後にSARS患者であることが判明した。

当時、病原体もよくわからない、感染力や病原性がどの程度なのかデータが少ない、など医学的な判断材料は乏しかった。となると「医師が死の病原体をまき散らした」と極端に考える市民が出てもおかしくなかった。
医師の関係した観光地、交通手段については国から発表されていたが、宿泊先、立ち寄った施設名は当初、公表されなかった。「影響が大きすぎる」という理由だった。案の定、地元自治体には照会が殺到した。情報を隠すと市民の不安を増大させるだけと判断し、宿泊先の一つ、都ホテル大阪(大阪市)は国の発表の2日前に「医師が宿泊した」と看板を出した。大阪府と市は独自の判断でホテル名を開示。半日遅れて国がホテル名などを全面的に公表した。
もしホテル名をあくまで伏せ続けたら、一種の風評被害で、大阪、京都、兵庫のホテルでは予約のキャンセルが拡大しただろう。

行政・専門家と市民のなすべきこと

情報「共有」がリスクと付き合う出発点なのに、情報を握る側が「どんな反応があるかわからない」などと、公開に消極的になりがちということが示された事例だった。
行政や専門家は、人権侵害など、社会通念上、許されない事態が想定されない限り、情報を公開しなければ、市民は疑心暗鬼になるだけだ。「リスクと付き合う」ことなど到底できない。
一方、市民の側にもなすべき事柄がある。ひとつは、アンテナを広く張り、判断材料をなるべく多く集めること。それがリスクと付き合う大前提だろう。
次に、集めた情報が信頼に足るかどうか取捨選択できる力を身につけることだ。
ただし、具体的には「リスクと付き合う」ための妙案はない。結局言えるのは、全く受け身のまま、「行政や専門家が何もやってくれない」と怠慢を指弾するだけでは事態は改善しないということだ。情報の出し手の意識をも変えていくには、まず市民一人ひとりが、リスクへの意識を高めること、それが最初かもしれない。

(健康かながわ2007年11月号)
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